ブログ記事のタイトル
- Hirao Masayuki
- 2014年4月7日
- 読了時間: 1分
野生の介護
2017年秋!開設に向けて!!
🌠東部伊勢崎線沿線・埼玉県 越谷市・建設予定・第一候補!!!
現在、デイサービス(定員20名)併設の老人アートギャラリー付き高齢者住宅の開設準備をしているのですが、スタッフの確保ができていないため建設のGOサインを出していません!!!
そこで、今回、このホームページに表記しています意図に賛成!!していただける方を募ります!!!
どうぞお気軽にどしどしお問い合わせくだされば嬉しいです!!!
建設のGOとなって、まず許可を得るのに6ヶ月、建設に2〜3ヶ月の目安です!!!
早ければ秋口、遅くても今年中に開設したいと考えています!!
その時点でスタッフになれることが条件となりますが!!!
ぜひとも宜しくお願い致します!!!
○脱福祉
介護じゃない介護の仕事しますか?」
ボケることは進化の途中であり、そうした老人らと暮らしていく仕事は、仕事のあらゆるポテンシャルを見せてくれる仕事であり、新しい時代の新しい仕事になります。
介護の仕事に行く!生活を失われた人をケアするために行く!そういうスタンスで仕事をすると、抑制することが仕事になっているスタッフの姿をよく見かけます。
ボケ老人に自由にしてもらうことに、たいていの人は耐えられないのです。
お風呂で、タオルをティッシュを使うように消費したり、トイレットペーパー1ロールをポケットティッシュレベルで利用したり、同じ問いかけを短時間に何度も繰り返し、お金を盗られたという被害を本当のことのように繰り返し語る姿、それに対して思考停止してしまうのです。
それはでも芸術だと捉えるとかなり面白く、細部を見ると深みのある出来事です。
だからまず介護しに行くではなく、たとえば映画を撮りに行くとします。
同じ演技を何度も繰り返す姿がそこには存在しますから!
撮影するためには、もちろん基本的な様々なケアはしなければ撮れませんから、介護の仕事は自然にクリアしてからの撮影ということになります。
ケアに支障もなく、さらに映画が撮影できてしまいます。
たとえば漫才しに行くでも同じです。
写真撮影でも小説や脚本制作でも生花でもトークショーでも畑仕事でもオーガニック料理教室でも音楽会でも同じようになれます。
主にコミュニケーション不全の方との共同作業が仕事になってきますが、そうした行為が日常になっていくと自然とこれは、ボケ老人との生活は新しいコミュニケーションを獲得していく仕事なんだと気づいてきます。
介護は新しい仕事になります。
介護は新しい仕事です。
このことを明確化していく居場所を作りたい。
そうした思いが、老人国家というイメージになりましたε-(´∀`; )
Comments